コンニチハ!pentagonnです!
自己紹介という大枠で区切ると少し変ですが、息子Ritzが小学3年生の冬から冬期講習からスタートし、塾決定、通塾してしばらくすると、私自身の考え方が変わってきたことに自分が気づきました。
珍しい考えが浮かんだとかではなく、一般的に言われているようなことを自然に考えるようになりました。
小学生からの受験勉強=「悪」なのか?
「小学生の頃は体を動かしてのびのび遊ばせたりスポーツをさせたほうがよい!勉強だけで部屋に閉じこもっていたら子供らしくない!」
ぶっちゃけ田舎出身で受験経験がない私はこの考えの人でした汗・・・だからヨメに言われるまで私からは息子が生まれてから中学受験の話は全く出ませんでした。そして習い事といえば水泳やサッカーなどのメジャーなモノを実際にやらせてきました。保育園時代や小学生低学年時代はごく当たり前の光景でした。あえて学習系ではソロバンをやらせてきました。これもどちらかと言えば「何か学習の一環として」という流れで中学受験を意識したものではありませんでした。
しかし小学生3年程度になると、割と息子の適正や好きなことがぼんやり見えてきます。得手不得手もわかってきます。そして子供もあからさまに好きなことばかりやろうとします。
その中で当時サッカークラブへ通っていたけど、親が無理やり連れていく状態が続きました。ただ行けば楽しそうに友達と練習をするのだが、その練習がほぼ遊び程度で終わり、上達を目指しす欲もなく、クラブ以外では練習もサッカーの観戦も何もしません。これでは周りについていけないし試合でも勝てない。本人にもうまくなりたい・勝ちたいの意欲がない。よってサッカーに未練がないようなのできっぱり辞めました。(ヨメが役員ですごく大変かつ収拾つかないのも辞めさせた原因でした)。
持論として「子供は体を動かして遊ぶ」=正解!ということが頭にある私は何とか別のスポーツをやってほしいと陸上競技教室とかにも連れて行きましたが興味なし。なんとか習字には興味を持ち、わざわざ何駅か乗り継いでいく日時が合う教室に行くことになりました。当時の息子の興味は「Youtube」のみ。私の理想とはかけ離れた引きこもり大好き人間が爆誕です。
しかしその「Youtube」で興味を示した戦争(当時はテレビでウクライナ戦争のことをやっていたので)や歴史・地図などの社会的なチャンネルにハマり、親も忘れていた歴史や地理の数々の知識を語りだしました。勉学の素養がある!とは思いませんでしたが、なんでも興味があれば吸収する子供のポテンシャルを感じたことは覚えています。
通塾が理解できなかった私・・・
さて3年生の冬にさしかかり、ヨメから初めて塾の話がでました。きっかけは「学童」の終了です。小学3年生できっちり面倒を見てくれる学童を終了し、4年生から学校内で子供をあずかる簡易的な?学童に変更となります。しっかり定時まで見てくれる学童がなくなるため、その代わりに塾に通わせる、習い事を増やすなど、そのような家庭が多いと思います。ウチもその方針で、
学童がなくなる=学童の代わりに塾に通わせる
という方針でした。ウチの息子は学童が退屈で行きたくない派だったので、それを見据えて塾へ、という割とネガティブな選択でした。
その時は私は塾=中学受験は理解したものの、小学4年生から受験のために塾に通わせるという意味が分かりませんでした。受験は6年生からでいいんじゃない?的な感じです。「4年生のうちはまだのびのび外で遊ばせたほうがいいんじゃないか?」、「子供は外で体を動かして遊ばなきゃ」の視点がまだありました。
しかし中学受験を経験したヨメは4年生からでないと間に合わない、と主張し、中学受験を経験している仕事のお客さんからも4年生かからでないと間に合わない話を聞きました。私としては非常に戸惑った覚えがあります。
息子がそんな塾の専門的な勉強に耐えられるのか?学校の宿題はいやいやながらしているけどどうなの?など様々な????がでてきます。
とは言え未知の世界なので、開成に合格して東大にいったら将来すごいんじゃね!という宝くじをあてるような感覚でやらせてみようと思いました。我ながら雑で受験を理解していませんでした。
少しづつ価値観が変わる私・・・
サッカーや野球で毎日練習して、仲間と切磋琢磨するのは小学生らしくて、「受験勉強で毎日勉強漬になることは可哀そう」・・・こんなことを思っていた自分や今までの価値観が少し揺らぎました。
小学校時代は勉強できるやつはそこそこ羨ましいけど、運動や喧嘩が強いヤツがやっぱりエライ!的な感じが世の常と思っていました。
しかし小学校は勉強ももちろんだし、体育や図工、音楽その他学芸などなど幅広くやり、その中で自分の特徴や特技を見出してきます。でもなぜか勉強ができるやつはなんか肩身が狭い思いをしませんか?私自身は中途半端な成績だったのですが、勉強できるヤツにすごいフォーカスが当たることは小学校ではなかった覚えがあります。どちらかというと勉強できるヤツは「お前点数よかったからチョー勉強してるんだろ?」→「いやそんなに勉強してないよ」→「嘘つけー」みたいなからかわれる対象に近い立場と思いました。
なぜなんだろう?と思います。例えば運動できるやつは褒めたたえられ、勉強できるや
つはなんだか蔑むまれて、おかしいな?と。
何が言いたいかというと、サッカーや運動が得意な子はサッカー漬の毎日で、練習して休日は試合で頑張ればいいと思うし、勉強が得意な子は毎日勉強して、休日はテストで頑張ればいい。ただ得意なことや好きなこと、将来の夢に情熱や時間を注ぐのはどちらにせよ別になんら変わりないな、と思えるようになってきました。
これが私の「小学生は体を動かして元気に遊ばなきゃ」という固定観念が揺らぎました。
息子のサッカークラブには、サッカーの練習はもちろんクラブでするが、そこでレギュラーをとったりするために、夜自宅で自主練したり、個別のサッカー教室に通ったりする子もいます。すごいことだと思いますが、中学受験と変わりないと思いました。
サッカーでチームのレギュラーをとる=塾で上位のクラスに入る
サッカーで試合に勝つ=模試でいい成績(偏差値)をとる
サッカーに強い学校(クラブ)に入る=進学に強い中学校に入る
なんだか方向は違ってもベクトルの先は似ています。その先も同じことが言えます。
だから勉強を受け入れられる子はそのステージで進むのはなんら問題ないのでは?と思うようになりました。
私はアラフィフで地方の田舎出身です。都会の受験戦争をあまり良くは見てませんでした。しかし未熟とはいえ、子供を力を伸ばせるステージがたくさんある都会のあり方に賛同するようになりました。
なんせサッカークラブではレギュラーのヤツが一番誇れることは間違いありません。「塾」では成績がいいヤツは一番で、それを誇ることはなんら問題ないですしね(嫌味にならないよう)。同じです( *´艸`)
今は胸張って息子の受験勉強を応援しています!
当時、罪悪感が少しあった小学生4年から受験勉強。息子は楽しそうに早稲アカに通っています。一部の凄いヤツと違って点数もブレブレですし、うまくいかないことも多いようです。だけど、フル出席です(^^♪
「SSクラスが大変ならSBクラスに下げてもらうこともできるんだよ」
「今SSクラスにいないと後になって上がることは大変になる。このまま頑張る」
と、つい最近の話です。
低学年の時のサッカーのように、困難を受け入れず遊び感覚だったあの時と比べ、難しいランクを受け入れ自分を試そうとしている息子の成長。ホント感動します。これでゴール!と言いたいところです笑。
今のところ中学受験や塾に合っている、と思っていますし、私自身が今中学受験を「子供にとって悪」と思っていることはありません。
「中学受験=悪」、「子供を勉強漬にさせてのびのび育ててない」、それは偏った考え方であり、子供が望んで受け入れているのであれば親としては最高の選択肢を提供できたな、と誇りに思います。
とは言え、まだ結果及び成果がでていないので説得力に欠けますが"(-""-)"
まとめると、
「中学受験は子供にとって悪」から
「中学受験は子供にとって好きなことや得意なことであれば素晴らしい選択肢=スポーツや音楽などを一生懸命にやっている子供たちと何ら変わりない」に変わりました。
少々乱暴な言い方ですが、子供が望んで、もしくは興味をもって取り組んでいるなら積極的にやらせてさらに上を目指してあげ、それを見守るのが親ですね。
(でも運動は遊びでも何かやったほうがいいと思うよ、健康のため笑)
中学受験は通過点!そこは間違えない!
中学受験で合格を目指すことは大事ですが、「合格」することが目的になると合格後に成長しようとしません。私がそうでした。大学合格を目指して無事合格したけど、そこからの将来の目標が何もなかったため、大学時代は遊び三昧でした。塾のクラスアップが目的になるともう本末転倒ですが、受験の合格の先に「何かやりたいこと」「将来やりたいこと」や「夢」がないとどんな素晴らしい学校にいってもどんどんつまらなくなってくると思います。そこはブレずに息子と夢を探していきたいと思います!
まだ4年生なので時間はあります。学校見学に積極的に足を運んだりして、さらなる目標を掴みに行きたいと思います!
いずれまた私の心境の変化を綴ろうと思います。
それではまた('◇')ゞ